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アント英語スクール代表 松並 順子のエッセイ |
私がどうして英会話教室をはじめたか? |
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アント英語スクールを始めた理由 1968年1月 32年前にサイパンのバンザイ岬でアメリカ人とハグしちゃいました。 外国旅行が、私達にとって、 まだ夢の頃の1968年。女の子だけで海外旅行へ行くなんて、 「二度と生きて再会できないのではないか?」と、 必死で止めるような、そんな時代のこと。短大に入学した私は、親友から 「一緒にグアムに行かない?」と、 何度も誘われていました。「学生時代の、 タイミングを逃したら、一生、なにも できないまま終わってしまう」と言い続けます。でも、一人でいく勇気がないので、 私に声を掛けていたようなのです。当時は今の感覚で100万円くらいかかりました。「そんなお金、絶対に準備できない!」という気持ちもあり、 彼女の話を聞き流していました。
そんなある日のこと、 テレビのドキュメンタリー番組を見ていると、戦没者のお母さんにインタビューしている様子が映し出されていました。息子さんが、 日本が悲惨な戦いを繰り広げた、 南洋のグアム島での戦闘で、 消息を絶ってしまっていたのです。「お金を貯めてグアムに行くおつもりはありませんか?」 というアナウンサーに、お母さんはこう答えて泣き崩れました。「私は、もう年だし、お金もありません。それに死亡通知書以外は、何も無いので、息子が死んだ気がしないのです。せめて、現地の石でも拾って来れば…」
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アント英語スクール 松並 順子 |
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